BLACK MOON, Model Yusei Yamamoto, Shot by Yokna Patofa

Monday 5 August 2013

キャノン写真新世紀2013 佳作(佐内正史選)受賞しました。

















キャノン写真新世紀という新人賞で、今年、佳作(佐内正史選)を頂きました。(YOKNA PATOFAという名前です。)

モデルになってくれた佐々木君、ティアンジャさん、これまで見て来てくださった方々、本当にありがとうございました。
「アセンション・リバー」というタイトルで、一つの未解決事件を元に構成しています。

10月26日から11月17日まで、恵比寿の東京都写真美術館で展覧会が開催されます。私も参加しますので、是非見に来て頂けたら嬉しいです。

またご報告致します。
http://web.canon.jp/scsa/newcosmos/news/2013_result_report/index.html
--------------
I(as yokna patofa) won the Honorable Mention award of Canon new cosmos of Photography 2013(selected by Masafumi Sanai).

Hiro,Tianjia,Thank you so much for making the world with me.and everyone who have been friend with me,thank you so much too.

The title is "Ascension River". I made this with studying one real serial murder case.

Our works will be exhibited at the New Cosmos of Photography Tokyo Exhibition 2013 at the Tokyo Metropolitan Museum of Photography in late October.

I will inform more later!

http://www.canon.com/scsa/newcosmos/news/2013_result_report/index.html




写真について
写真は2010年にロンドンへ旅行に行った時から、自分の中で始まった。色々なことがあった2011、じゅりちゃんと会い、それまでずっと求めていた「人を徹底的に、深く関与しながら撮りまくる」ということが出来た2012..、ほんとに色々あった。

2013年は、旅と共に始まった。2012年にも行った土地、(私の他には誰も見ていない様な、)とても気になる事件が起きていた土地に、今度は一人で行った。その土地へ行けないときはグーグルマップで見て考えていた。現実界では佐々木君やティアンジャに会い、内部で新しく何かが起こり、それらをまとめるべきだと思った。全く共有できないもので満ちあふれている感覚だったので、まずは一人でできる小説を書くことから始めたが、それはすぐに小説ではなくなった。その時メモっていたのはエルロイがブラックダリアを書いたことについて誰かが言っていた言葉、「ブラックダリア事件そのものについてではなく、ブラックダリア事件として表出した××年アメリカ状況について語ること」という。私はだから、事件Xと、私個人の状態について、書くことで、同時期の謎について知って行くことで、同じく、何か、"私(我々?でも視点は一つ・・・)"を取り囲むものの真実を、浮かび上がらせたいなと思った。
これは、それはそれで語ることで、まとめたいと思っている。なので、今年撮っていた写真と、自分の想像の中の「アセンション・リバー」とは全然違う。しかしそれらを見返したとき、それらの写真で出来た地名は、「アセンション・リバー」だと思った。
写真新世紀に出した時、全然、アセンション・リバーという物語の全貌も、写真のことも、何もわかっていない段階で出した。(写真のことというのは、思索的な意味でということで、技術的には何もわかってないでは済まないようにしていますが)
だから、受賞できるか、正直、半々だと思っていた。
その、まだ不確定な部分も含めて佐内さんは見てくれたのかもしれないと思うと嬉しい。

佳作というのは、まだこの賞の中でも上があるということだけれど、個人的には一つスタンプを押してもらった感じで、何か安心したし、引き続きこれからはもっと感覚を濃密に、鮮烈にすることだけに集中し、やろうと思う。そして願わくばそれで何かに触れたいと思う。

写真について、二つ、覚えてることがあって、
一つ目は、一人旅した時で、実際撮れた写真といえば大したことないものだけど、感覚の何かが変わった。歩道橋の上で、一人で、知らない街で、落ちて来る光をバシバシ撮っていた。
「擦過」という言葉を書いた覚えがある。それが実感だった。後で森山大道のインタビュー映像か何かを見ていてその言葉が出て来たんで、消したが。でもカメラで受け止めるとか、森山さんの言っていることは時たまとても良くわかる感じがする。..
実際私とカメラしかないわけで、そうなると全部がとても神秘的なシャッターチャンスになってくる。時間が流れて行くのをかろうじて受け止めようとする。その擦り傷が写真、その感じ..。それらは生きていることを「なんにもない」この場でも、突き詰めて来る感じがし、私にとっては重要な時間だった。

もう一つは、「感じることでも変わっていく」ということについてで、
写真についてはあまりこれまで書いてこなかったけど、それは、突き詰めてみると何も言うことがないって感じが常にあることがある。
毎日撮っているしすごいと思う写真や写真家も増えて行き、写真に対する思いもものすごく膨らんでいく中で、写真についての考えが、6月くらいから全然出来なくなった時期があった。それはもう、辛過ぎて、誰でもいいから写真をやっている人といえば色々聞きたいと思ってしまったほど・・・。(でも結果的には、周りに写真を撮っている人がいない状況で続けて来て良かったと思っている。影響されやすいから。)
今でもよくわからないので、今も何も実際、言い難い部分がある、とにかく、ものすごいモヤモヤばかりで、何もわからなかった。バイトの帰りにものすごく泣きそうになり、地面のアスファルトを撮ったときに一つ何か救われた気がして、何か晴れ、ああこれなんだと思っては、また曇り...
普通なら言葉で「今はこういう状態なのだ」「だからこうやればいい」など、考えることすら出来なかった。写真をどうやって深めればいいのか?そのとき麻衣ちゃんと話したのを覚えている。
「最近、どうやったら深められるか、進めるかわからなくなって・・。何も答えが出ない・・・ものすごいモヤモヤしているんだけど・・・どうしたらいいのかわからない・・」
で、どんな感じだったか忘れたけど麻衣ちゃんが瞬時に言ってくれたのが、
「考えるだけじゃなく、感じるだけでも日々、写真も音楽も変わっていくでしょ。」というようなことで、
ほほう、それでいいのか、と思った。形にしなくても、言葉にしなくても、そのままでいいのか、
実際、写真がどう変わっていっているのかは全然今でもわからないけど。でもそれからはもっと楽しめるようになった。(破裂しそうな、感じること自体を)

なので、モデルになってくださった佐々木君とティアンジャには特別感謝なのですが、これまで撮らせてくださった皆さんや、写真や映画とはまた別に人間としてでも、関わってくださった皆さんのおかげだと本気で思っています。
ありがとうございました。

写真を撮ることへの気持ちはどんどん強くなっているし、新しく写真そのものへの実験精神も出て来ているので、引き続きぼちぼち個人的に、一番の趣味であり研究であり、世界をもっと知るための思索、探究を許してもらえる時間として、(もっと単純には好きな人やものをじっと見つめられるチャンスとして)、やっていこうと思います。現在は、自分はいつもそうだけど、ポートレイトのシリーズから始めています。それはレヴィナスを読めば、他者とか顔とか、それらを読んだときに感じたことで全部言葉にはなっていて(そのうちギリギリまで説明する努力をしてみたいとも思っているけれど..)、それ以上の自分なりのことを、写真を通して出来たらと思っています。

その自分の部屋とはまた別に、今後は、映画、映像に力を集中して行こうと思っています。
スタッフ募集など、近々に告知する予定ですので、これからもよろしくお願い致します。






2 comments:

詩島通戯 said...

まずは受賞おめでとう! 少しづつ足場を固めて成幸を確かなものにしてください。

億名さんが言う「擦過」という言葉を読んで、私はすぐにアンドレイ・タルコフスキーのことを思いました。
彼もまたインタヴューで「芸術は人生を生きる摩擦から産まれる。」との大意を言っています。

Yokna、私はあなたを同世代を生きる表現者として注目しています。あなたの創作のよりいっそうの飛躍に期待して。

Good Luck!

P.S. 7月の項のジェット・ブラックの電送機付きの電柱、なにかハード・ボイルドな感じがしてとても気に入りました^^。庵野秀明さんじゃないですが、電信柱や電話ボックスのような前世紀からの僕たちが生きて/来た・いる/原風景には、何か触りがたい皮層下の無機質な流砂のような生命営為のLiving Sourceとしての生命衝動(リビドー)を感じます。
21世紀にしかないエステティクスを見出して実在化させること。この、写真、映画に限らず芸術一般の使命に忠実であり続けるには、まず今この時、この時代の流れを肌で感じて生きること、自分を産みだしながら生ききること。わたしはこれしかないように思う。

Yokna Patofa said...

詩島通戯さま

力強いお言葉、ありがとうございます。とても嬉しく、励みになります。

タルコフスキーの言う摩擦、普段の自分でしたら、社会との間に存在するものとして捉えてしまっているのではないかと思います。
ですが確かに彼だったら、より根本的な、生きること自体の感覚や記憶の中にいることもまた、その言葉に至るきっかけになったに違いありませんね。

タルコフスキーの言葉を今、不意に聞くことが出来て、情熱と安心が入り交じったような気持ちが生まれています。


それから電柱について、「ジェット・ブラックの電送機付きの電柱」という、その言葉自体が何故か、凄く好きです(笑)何故だかわからないのですが..

写真としては、電柱は実は、中学くらいからずっと撮ったり絵に描いていました。

エヴァンゲリオンはその前にテレビで放映されていたので、その中の映像を見ていなくても撮るようになった..とは言えないのですが、

田舎生まれの自分にとっては、電信柱は何も無い風景の中、どこかわからない所からつながっている、異物で、
おっしゃる通り、自分が無意識下でつながることができる、リビドーのようなものを感じていました。

ちょっと前までは、よくあるイメージだと思って除いてしまっていたけれど、やはり本当に美しい、と思う時があるんです。触りがたいものを確かに感じる。だから今年に入ってから、そのストッパーを外して、撮りたいものは正直に撮るようにしていました。結果として、飛行機もそうだけれど、自分には毎回、既視感と同時に、それを超えたものがありました。だから、そう言って頂けてとても嬉しいです。


最後の言葉は、これから何度でも思い出そうと思います。


これからもよろしくお願いします。温かい言葉、ありがとう!

素敵な一日を。


ヨクナ