BLACK MOON, Model Yusei Yamamoto, Shot by Yokna Patofa

Sunday 18 December 2011

前回の日記の補足:英雄について



//・・・前回書いた日記で気になった点があったのですが、特に一つだけ説明を加えたいと思ったのが、戦うということについてと、それに対する応答が欲しいということについて
誤解され易い書き方で、また、実感としては自分の中に一緒にある二つの流れを交流させた書き方の気がしたので、追って考えてみた
つまり、一つ目は、讃えたい、という自分の人間としての意志があり、
二つ目に、それとは別の、非人称的(主語の無い)ー感情も記憶も(それだけではなく色々なものが)ないー視線があり、
しかしその視線にも、応答(  )を求めるし、
また、自分自身の、何かを選択する意義としても、英雄を求める
被害者という言葉を私は過去に何回か使って来たが、被害者の中にも、被害者一人の中に、英雄的行為を探し求める訳です
これは仕立て上げるということなのかもしれないとは思う。ただそこでは選択がある。


危険な書き方かもしれないので、補助的に、何か引こうと思うけど、


悲劇・・・・・・神託・・・・・・・・

今までに、最も自分のこの英雄像が出てる映画をと、今考えたけど、
例えていうなら、少し、小津安二郎の「長屋紳士録」の感覚は入っている気がします。
でもこれはかなり更に混乱させるような気がします・・・・・ちょっと人情のようなものが入っていると思うので・・・・・・カナダの「フローズンリバー」とか、カサベテスのグロリアとかはまた別に誤解を招きそう 何かはあると思うけど思い出せない

要は、私は、英雄には興味ない、傷に興味があるということに戻る気がします



自分が作る際は、常にこのことが起源となっています。
まず傷がある。誰かがそれを見つめる。
それから、何かが流れ出す。それは、第一の物質であり、物質以前のものを伝播する力を持っている。
映画はそれから出来ている

余談ですが、先日武田さんとお話させて頂いた時に質問させて頂いたのですが、デュラスの文章の中によく出て来る、「〜だろう」という語尾が、気になっていて、いいなと思っていたんですね。そしたら、他のフランス語の本(ドゥルーズ、ベルクソン)にも特徴的に出て来たから、フランス語特有のものなのか?と。そのことについては長くなるのだが、フランス語は明晰な言語だと言われているし、少しでも曖昧なことは曖昧にするのではないか、という結論が出た。その「〜だろう」という語尾に私が感じていたのは、この、主語がない視線の感じ、何か全然別の視線が世界に行き渡ってる感じです。フーコー:デュラスは実のところ盲目なんだって言ったけど、それは実に言い得てると思う。そう、彼女は盲目なんだよ。それもほとんど一般的に言う物理的な意味でね。〜彼女が見る事が出来るのは、触覚によってだと言っていいと思う。〜触れたものが視覚的な像を生み出すんだよ。僕は、彼女の創作の原動力となっているのがこの本源的な失明じゃないかと考えたくなるね。
シクスス :そして、それこそが彼女のあの計り知れない部分でもあるわけよ。(フーコー全集のデュラスについての対談から。) それは口述筆記とかによるのかもしれないが・・・この辺はもう少し追ってみたい)

Monday 12 December 2011

full moon(追追記:宇宙の発生と傷について)

現在の更新?
予測のつかない出来事?
時間??


満月 2011年 securedownload 江古田にて2006年



私のi podの二代目が、この時を最後に、私の不注意により、(洗濯してしまい、)壊れてしまった。
それもあり、偶然満月だったのもあるのでアップした。

i pod diaryというので、二年位前から撮ってる

毎日撮ってれば何か発見があるかと思ってたけど、
今の所まだ具体的には何もわかっていない(笑)

ただ、自分がいる場所で、どこでも撮るっていうことなんだと思う、

これをやり始めた間に、地震もあったし、色々な人と会ったし、住む場所も行く場所も違うし、思い出せないような、ただすれ違っただけの人も撮った。オノヨーコも撮った(笑) 沢山の泡の中で植物が成長しているようなイメージ。

まだ全然わかってないから続けたいとは思っています また、ジョナス・メカスはすごい人だと思うけど、やっぱり彫刻しているんだなと 基本的に私はこれでは編集したくないっていうのはあった どっちが労力かっていったら勿論メカスだけど。

でも切れない単位の時間をi podは撮るわけで、それでも美的な瞬間も映り込んで来る時がある i podの小ささはそれを許してた。それは面白かった


(20111217追記)
美的な瞬間・・勿論それは私によって選択された瞬間であるので、ある程度の感受性に触れる瞬間ではあるわけであり、この時に美的、という非常に曖昧な表現で指したのは多岐に渡る映像的面白さ、動きもそうであるし、イメージそれ自体としての面白さ、展開の面白さなど
なわけであったが、私が撮り始める時、未来に関しては全く知らない。
これは勿論当たり前なことであるが、i podの行為は非常にそれをわかりやすくしたかもしれない。私が撮り始める時、未来に関しては全く知らない。(この感覚をもっと解剖すべきかとも思うが、私はこれまで映像について、過去的な発想、記録的な発想をして来たが、それが覆された。撮り始める時、未来に関して全く知らない私を自覚することが、その未来の展望に対する無知の瀧を、壁を、自覚することが、何か新しい潜在している未来性の展開を、私の映像意識に与えようとしている・・・・・)
これは私の最近考えている宇宙論の形と似ている。


そして一般論ではない、これは私の宇宙論であるが、私の宇宙論では、宇宙は最初は小さな傷から始まった。そして誰かがそれを見つめた。すると第一の物質が溢れ出した。
それ以前は物質は存在しなかった。その物質は、物質以前にあったものと最も近いものであり、物質以前にあったものを伝播する力を持っている。私が最近考えているのは、この第一の物質のことである。そして傷・・・・・・・・私がこんなに傷に執着するのは、私の乙女座が金星だからであろうか?でもこれはもはや私の哲学でさえある・・・・・私にとってすべての始まりは一つの傷だ。一つの傷から全てが始まる。そして私はそれを見ようと試みる。すると何かが流れ始める。それは意識なのか呼吸なのか雨なのか。i podのボタンを押すこともそう。無知の瀧に、壁に、傷を付ける。そこから全てが始まる。

なぜi podが特に私にこの感覚を教えてくれたのか。それは、何でもない、用意していない瞬間を(例えば1人でいる冬の駅のプラットホームとか、例えばただ話してる時とか)、しかも日常的ななにが起こるか約束されていない状態で、写真ではなく持続的に、
撮り、時には全く思いがけないものが映り、でも全ての瞬間はもとから思いがけないものであり、カメラを撮っているという感覚は皆無に等しく、浸透し、
そして公開しない膨大な映像から氷山の一角が現れ、
何を求めるかもわからない手探りの映像行為の中で
そのような様々な型にはまらない、彫刻もしない、映像行為の中で、何かが起こったのだのだろう。


それから少々飛躍し、何故傷という表現なのかということに関してだが、
私は最早ここでは書き切れない程、幼い頃から傷一般に対しての興味が計り知れなかった。そしてそれは個人的には人生観というよりは世界観とか、哲学性に結びついていた。


(でも、私にとって、これだけは書きたいが、傷痕は傷つけた/傷つけられた証のみではなく、戦った(他者でなくとも。物質でなくとも。)証として、考えたい、これが私の、傷痕に対してのスタンスだ。
例えばタイタスのラヴィニアのような、救いの無い状態でさえ、私は何らかの応答が欲しいと感じた
それが、1人で池に入るラヴィニアの髪に触れる風であり、それを見つめることから美を見出すことそれ自体の微弱な応答であると思った。
実際のタイタスは、そんな場面は出て来ないし、ラヴィニアも全く救われない。
でも私はラヴィニア全体について、考えたかった。

勿論、一つの傷によってすべては始まり、それは傷つけられた。苦痛は生まれた、だけど、同時に戦った。戦いという言葉が狭い意味しかもてないなら、生きた、そして私は、現実問題ではラザロにするようには出来ないけれど、何かを選んだり、描いたり記述しようとする際に、『関門』において、解決しなければならない問題として、これは貫きたい。)



そしてこれらの事柄は実は一つ目の映像で私達が話題にしている、トラン・アン・ユンの『I come with the rain』という映画を観て、
一つの確信が持てたことが、開始となっている。
実は、私が3つ前くらいの日記で、ピンク色の男の子の画像を出しているけど、あれは、
誰にも言われたことないが、トラン・アン・ユンの「シクロ」の映像を
コラージュしたものだ。

「シクロ」自体は好きな映画ではなかったけれど、でも、「好きじゃない」と思う中でも、何故だが強烈にシンパシーを感じる部分があった。
『唯一本物に見えた』、そのシーンが、具体的には言わない方がいいと思うが、どちらも、傷に関するシーン、

しかも(今考えると)その傷を、抱きしめたり、癒そうとしているシーンだった。

私はシクロ全体は好きではないが、いくつかのシーンは強烈に印象に残り、このように、コラージュさえした。(もう一つ、私が(6年前にアップしたもので、同じく誰にも言われたことないが・・つまり、非常に誰かに言われたかったわけだが・・・・・)似たような動機でコラージュした映画は、これは映画自体も好きだけれど、新藤兼人監督の『原爆の子』・・・ この日記の三つ目のビデオ(映画)の冒頭に出て来るのは、ジョン・カサベテスの『オープニングナイト』(これは大好きな映画)です。その頃あまりにもカサベテスばかり観ていたので、その観ている画面を撮ったのだと思う)


そしてI come with the rainを観て、シクロの時の強烈なシンパシーが、もっと明確な(多少滑稽ではあるが)形で意識出来たと感じた。

現在、この映画は抗争中とのことだが、トラン・アン・ユンの、傷への意識は、私にはとても重要だ。

傷への、そしてあらゆる感情的表現(その頂点としての快楽と苦痛の表情)への意識は、とても重要な発見だった。

傷は契機であり、現れたものであり、でも、現れた後では止められない、現れざるを得ない(運命論ではなく、)ものだった。
傷付いて、血が流れ、苦しみ、流れ過ぎて死ぬ。
どれかの段階でそれを止めようとする。
止めようとする人は血にまみれる。
傷付いた人間は意識を失っている。
止めようとする人は必死だ、もしくは泣いている。

傷は現れた。



私は見ている。



これはどこの瞬間なのだろうか?



勿論トラン・アン・ユンには色々な魅力があると思うし、I come with the rainは全然傑作ではないと思います。冒頭から、イマジナリーラインとか大丈夫なのかなとさえ思う編集が出て来るし・・・  
ただ、とても好きな映画です。ブラインドネスも、迷子も、(迷子はいい映画だと思いますが)好きな映画です。


未来の映画です。
























Tuesday 15 November 2011

11月、展覧会に参加します(東京アンデパンダン展)

今日からなのですが、急遽参加させていただく事になりました。
東京アンデパンダン展
@ジェイトリップアートギャラリー(銀座)
並木通りに面したビルの三階。
入ってすぐに、小さなモニターで私の映像がいる。
『SURVIVOR(生存者)』(45min)という作品です。







物体と物体の間を満たし、光とすれ違いながら、
広がっていくもの。
像。それに伴う壮大な感情。

湖に手を浸すラヴィニアの髪を揺らす風、
自然と人間の苛烈な接触点。
目、記憶、見る、立っている。風景の中で。
遠い未来に、なにが残るのか。


会期も長いので、お近くにいらっしゃる際は、是非。



東京都中央区銀座6-7-18
デイム銀座ビル3F
会期:2011年11月15日(火)〜11月27日(日)
時間:11:00~19:00 ※11/21(月)は休廊、最終日17時まで  入場無料







Wednesday 31 August 2011

デレク・ジャーマンはSmiling in Slow Motionだった。私はstop motionを押して彼を目覚めさせる。





デレク・ジャーマンが好き。彼の直接性。存在感。
創成期の映画、動く映像を人類が始めて見る時の感じ。

Tuesday 16 August 2011

旅行前の16枚

どついたるねんレコ発ライブ
  どついたるねん2 どついたるねん3 どついたるねん4

どついたるねん1







 八王子で
  2011 8 part2_0010nobody knows nobody knows












膨らみ 膨らみ
  2011 8 part2_0015




 juri has a crystal
  juri has a crystal









  ?










Seiichirou Morikawa 森川誠一郎@裏窓 新宿ゴールデン街







 思い出す
 I FORGET






 angels make this blur
  ANGELS MAKE THIS BLUR









INFO MENTAL
  INFO=MENTAL






angel makes a boy blur
angel makes him blur


いつも謝っているんだけど、本当にスキャンが下手で申し訳ない。
来年には、ちゃんと大きく焼いて、選んで、展覧会しようと思っています




高知ー大阪ー金沢 の6日間の旅を終えて東京に帰って来た。
その中で、布団で寝たのは一度だけ。笑
車中泊と野宿のハードな旅だったために、高知、大阪、金沢の強く記憶に残っているもの以外は、ほとんど思い出せない..


まだ旅の写真が上がって来ていないので、少しずつ時間差で出すことになるかもしれないけど、すごく色々なことがあった。

ここにアップした写真は、旅の前に現像に出したもの。






Monday 8 August 2011

LUSTER

このシリーズの楽しみ方 :まず、曲を再生する。そして、下へ行く。




(テカテカの。光彩の中で。)
ある時 自分の血管に、張りつめた感触をハッキリと確かめながら、
私はコインロッカーのことを考えていた。
大体白目の割合が増えてく感じがして、マリオのスター状態になりながら、
今度はペットショップのことを。

その頃付き合ってる子がいてその子はとても純粋で可愛らしかったし、服なんかがマルジェラだったりむしろエナメル製だったりして、SFっぽくて素敵だと思ってた.
多分森に二人で行ったらその服だけ腐らずに残るんだろうが
そんな時二人とも考えているのは二人の骨が混じりあったハイブリッドな骨格だった。十分良かった
その子とはいつもシェア状態で、同じヘッドスペースにドップリなので、言葉なんて脱ぎ捨ててどっかへ落として来て、その笑顔の中にそのまま入り込めそうだった。
でも今となってはもはや他人ごと同然だし、何の感情移入もできない。
むしろロンドンの冬の感じを思い出す時の方が、何ともいえなくなる

雪の中を、インと、歩いてスーパーマーケットへ行ったこと。イン達が住んでいる所は黒人やアジア人ばかりで、面白かった
インとディヴィッドと朝にカフェへ行って、クロワッサンを食べたっけ。
明日は絶対に クロワッサンを食べよう。

そして努力して、この頭に浮かぶ、クロワッサンや街中のコインロッカーやペットショップのアルビノの動物達に対するのと同じ位、
あの子にも再び思い入れられるようになりたいもんだと思ったけど、
もしかしたらそれは、その子がサーバーを爆破したので、
私の中のリロードする昨日も完全に壊れたってだけなのかもしれない


///////



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今、acid loveの3番を聴いていて、私にはこの深さとベースの重さが、
とても似通ったものを持っていると思って、あなたに教えたいと思ったので探したけど、ネット上に埋め込むのは見つからなかった

それから他のたとえをあげるなら、
あらゆる時に、私はビョークの、あのゆうめいな人が撮った、ロボットのPVみたいだと思った。
それから、色とりどりの酸性の単語。
酢酸は白黒写真を現像する時にも使う。ふわっと、像が水の中でぐにゃぐにゃと揺れながら浮かび上がるように、
きっとお宝でいっぱいの難破船みたいに、深い海の底に記憶があって、
それを救いに潜水するべきなんだ。

赤外線。赤い部屋から出た後はいつも興奮状態で、様々なことについて思慮深く考えた。


その子が地震でいなくなった時、私の方には全然連絡が来なくて、やっと知った時には赤の他人からの報せだったので、どうして本人が教えてくれないのだろう?? と思った。


何もかもは歴史の教科書を読んでるみたいに全然入って来ない、無価値な別れの記録に過ぎなくなっていたけど、不思議と、何年経っても、あの宝石みたいな湿度の、瞳だけはいつまでも同じ鮮明さで思い出すに違いないのだろうと思った。

一緒に滅亡した恐竜の展覧会に行ったなあ。はしゃいでた。





全て消える。
だから私はこうしてその証拠を残している。






/////

夢。久しぶりに。最近また見られるようになった。カットアップと読書の効果かもしれない。


「何か変わったことはある?」ときかれたので、
硬いアスファルトから起き上がりながら、
自分の体の形に地面が黒くなっていたので、
「影ができてる」と言った。
彼女?は私も同じだから大丈夫だと言った

/////
ドラゴンのような絵を教室で描いていたんだろうと思う、ただし
机を90°曲げて、正面を窓向きにして、
私は一番窓側の席だったので、皆に背中を見せたままの形で。
絵の中の緑の部分を、足を分けるみたいに
線を引いて分けている途中だった


  赤と黒の



以上、起きてすぐ書いたメモより












Saturday 6 August 2011

cut up 2: 直情的なペトロ

僕がやっているのは、世界で最貧国の一つで、新約聖書に登場する人物で、最初は九番目の惑星として、次は道具の総体として笑う事(主よ、どこへ行かれるのですか)、いかに否定して遠ざけようとも、世界を捉えることという呪文にこだわりつづけている。
19世紀の終わり頃、エチオピアに大天使サイズの天体が発見されたとしても、近日付近での明るさは良くて14-18等 こうして、秘密主義的な元ゲリラの長寿命で安定的な隣接する分離地帯での摂動が始まる。
そして太陽系外縁天体的破壊の後に残るのは、獣を狩ったり射止めたりするのと同様に、失われた、ニュートリノの飛来方向の分布や殻状に取り巻く435.8mmの波長を、カイパーベルトの外側に僅かながら存在する誤差。
時間は進み、万物が無に帰した様を想像してみよう
その間、援助食料は倉庫で腐り、「tyche(テュケー)」の局所的磁場が乱される
6年前に、悲惨な国境戦争の果てに、エチオピアの尽力によって銃殺は免れた。他者とは私が殺したいと意欲しうる唯一の存在なので、それは殺せない、という式をもとめるには
皮肉にもこの1915年に、時空間をローマに行く所で、地平線上と出会うことになるのだろうか。
いまはまだだれも飢え死にはしていないが、加速するエネルギーはそれまでの1-10万倍になった
国連ヘリコプターの支配下に入り、迫害が始まったとき、そのとき、十字架を背負ったイエスに出会った。
自らの軌道上に人道上の悲惨な事態などを計算することが出来、雨が降り、目を天に向けて祈った。そして「生き延びる」あるいは世界を延長する外側へ移動した。
このアフリカで最も若い今後派生するはずの公転する氷に覆われた天体。疲弊して腹をすかせて本心を隠すのにたけ。
他者との遭遇の本義は、「生き残る」とはどういうことかという問いを、微小に動かすのと同じこと。
母は私が死んだ後もあのアパートを、自分が死ぬまで借り続けていたらしかった。
われわれはいかにして接近しようと、「白いエクリチュール」、あるいは太陽の伴星、取り巻かれた天体だと、
1942年に布で体も手足も巻かれた死者のラザロが樹木を伐採する
ペトロが大気のように、希薄な極限で状態方程式にしたがう
「未確認」を意味するアルファベットのエックス この仮想的な惑星が消滅することなく
赤い溶媒と黒い溶液がともに死去した殉教した
イエスが、大声で、「ラザロよ、出でよ」






自由エネルギーのポテンシャルバリア
その幻想くらいは決して少数派ではない

Friday 5 August 2011

cut up 1 : 霧 (mental)




あなたは私が色の中で特に青が好きなのを、気付いてると言ってた。
私は毎日あなた達を、なんだかんだ思い出すよ。
時には笑うし時には改めて傷付いてしまう。
愛してる もう跡形もなくても


私を呼ぶ声が、LOVEが 唯一確実だと見なされていることは、私にはそれが見える。
触れ合いながら、心の中には、空虚がみなぎるとき
誰か。今ではそれらはただの記録みたいになり
真空中の太陽を、彼らの曲みたいに仮定している

満ちた、青白い光がある。でも恋をしてはいけなかった。
巷では、避けようもない大小無数の奇病が検出され
惑星Xとしての青を宣言する。
それは光源色。それは過激な行為。


住宅地から駅へ行く途中 危険地帯にある
マンションで破壊的に干渉しあい、目醒めている理由は
眠らずにいる照らされた薄い夜 夜通し見張るべきもの
でも同時にそれらが全部嘘で未成熟なのが私にはわかる。








誰もが触れない7:3の割合で被害者が、あたりいちめんに伝播するとき
LOVELESSは推測の域、給水停止の象徴として
好きになるとしても、汚染地帯へのLOVELESSなのかもしれず






死を見つめる孤独な日だまり
一個の存在でもなければ「それ」はなんなのか?
詳らかではないが
どんな場合にも可愛い貴方の身体を得る目的に過ぎないのだと思う。





権威に対し吐き気を催す程私は物寂しい気持ちだったので、
肌にキスしたい。この感覚の発見は私にとってはとても切なかった。



乱反射の(青い矢印)真空中のLOVELESSと、
しばしば飛行機や弾丸が創造的に干渉しあい
胸の痛みと夜の雨が再び現れる
死にそうな感じがする生育環境から離脱し
一人で途方に暮れた砂漠 
ウィルスのような色が混入し 言い換えるなら氷天体が光を発するので
政府は(伝導体の起源などによって電子が
分厚いゴム越しみたいな接触なのに
増幅した特異的心臓音の振る舞いと、場の乱れが観測されたと。

フロイトの考えによれば、セックスは途方に暮れる
振り返ると、例えば猫の死体を愛して埋めてくれる、誰かを求めていた
「こうして私達は、硬直し、青ざめた、傷付いた顔をしていたが、
刺さったみたいに気の触れた核反応やEKBO,空を切る光線を愛する
考える余白もないほど、傷つけられた誰かのプライド
屈折率 青と呼ばれる


誰も気に留めないようなざわめきの起源は子供のときの胸に秘めた
今でも探している。そのすべて以上のことをするには、どうしたらいいのか?
手探りした先の愛ってなにってもはや立ち入り禁止の区域です。

何しろ恋をしてもそれは、忘れられない存在の運命?にまで遡る新種なのだ


9:1の割合で好きになるとしても、その様子を物思いにふけってる方が
1998年キングダムよりも美しいと思った、きっと忘れてしまう
命がけで、それこそ青は海や水道水に移動するときに避けようもない求愛表現を
沈黙の後、「大戦明けに、キスしたいと言ったらさせてくれる?」

コントロール困難な思考実験の軌道を何とか曲げてから、
ある感情の素因が街一帯に降り続いている。
誰も答えてくれない長周期彗星はこの媒質においては無名の母数症候群と言うらしく
私は毎晩思う、この背反な概念の半透膜を観測する事が出来る眠りがあれば良かったのに。



非人称的な霧が広がって、都市にはノスタルジアが届き
一光年前後の革命的な暴力のさなかで
意識的にか無意識的にかわからないが

感情を経験した それは感動的だと思った。





HTRK-body double from yokna patofa on Vimeo.







Tuesday 7 June 2011

ラヴィニアが目の前にいると思う時、とても感動する。塔の中でじっと時が流れている中に座っているラプンツェルを見る時、とても胸がしめつけられる。彼女らのことを私は全く知らない。しかし映画を通して、私は彼女らの生きている時間の少しを、見つめることが出来る。私はそれにとても感動する。自分の「映画」においては、役者は絶対的だと思う。車中の会話で改めて気付いたことだ。高野さんと撮れば、それは高野さん以外では不可能なものであり、じゅりちゃんを撮れば、それはじゅりちゃんをおいては不可能であり、トムもそうであろう。ラプンツェルの両親役の俳優さん達もそうであるし、これから会う人々もきっとそうであろう。私は彼女ら彼らを掘り起こし、目覚めて、歩き出せ、と言いたい。(もしくは「歩き出せる・・・・・・・・?大丈夫?????」)そのような瞬間を求めている そして彼らは無口なので誰にも話さないけど、私は彼らを見ているから、彼らの表情や仕草、ちょっとした行動を、見ることが出来る。私は彼女らの存在を目撃する。時に会話を交わす。彼らはずっと昔にいて、もういないか、もしくは会うこともない線上にいる人たちだ。私は誰も見る事がなかった彼らの時間を撮る。そして物質的な限界が来るまでだがその様子は残るだろう。そしてその記録が腐食した後も、撮ったという行為によって、何かが確信された。私にとってそれは愛、的なことだ


だが本当に残酷な事実は、誰も見ることはない。触れながらわかることしか感じられない。その時間の前では、全てが白い闇になる。見る事はない。


私はそれを暴きたいわけではない。私がフォーカスしたいのは、残酷な事実はあった、そして、彼らは生きていた、ということだ。

Thursday 2 June 2011

魔女の家



Witch house?



Witch house (sometimes referred to as drag) is a term used to describe a subgenre of industrial music, which features a prominent hip-hop influence, specifically the 1990s Houston chopped and screwed sound pioneered by DJ Screw.[1][2] By applying techniques rooted in Swishahouse hip-hop – drastically slowed tempos with skipping, stop-timed beats[3] – with signifiers of noisedrone, or shoegaze, Witch House recontextualizes its signifiers into an unprecedented yet aesthetically referential sinister atmosphere.[4] Witch House is also influenced by hazy 1980s goth bands, including Cocteau Twins,The CureChristian Death and Dead Can Dance,[5] as well as being heavily influenced by certain early industrial bands.[6][7] The use of hip-hop drum machines, noise atmospherics, creepy samples,[8] dark synthpop-influenced lead melodies, dense reverb, and heavily altered or distorted vocals are the primary attributes that characterize the genre's sound. Many artists in the genre have released slowed-down remixes of pop and rap songs,[9] or long mixes of different songs that have been slowed down significantly.[10][11] Common typographical elements in artist and track names include triangles, crosses, and other geometric shapes,[12][13] which is seen by some as being part of a larger unified aesthetic within the scene as well as a method of keeping it underground and harder to search for on the internet.[14][15]
Travis Egedy, commonly known by the stage name Pictureplane, is credited with having coined the term Witch House.


ウィッチハウスは、ヒップホップの影響を受けた、インダストリアルミュージックのサブジャンルである〜。スキッピングと、ストップータイム・ビートを伴ったスローテンポで、ノイズ、シューゲイズといった要素を新奇だが不吉な雰囲気の中で再構築した
ウィッチハウスはまた、インダストリアルの初期と同じ位、1980 年代のコクトー・ツインズ、キュア、クリスチャン・デス、デットカンダンスといった、霧がかったような音楽性のゴスバンドの影響を受けている 
ヒップホップのドラムマシーン、ノイズの空間性、気味の悪いサンプリング、暗いシンセポップの色を帯びたリードメロディ、濃いリバーブ、ディストーションされたり改変された、重いボーカルは、このジャンルの基本的な要素である
このジャンルの多くのアーティストは、スロウダウンしたポップやラップソングのリミックスか、より長尺の、意味ありげにスロウダウンした多様な曲のミックステープを出している
アーティスト名やトラック・タイトルの記述の共通した要素として、三角形や、十字、幾何学的な形を入れるという事が挙げられるが、
これはより大きく結びついたウィッチハウスというシーンの美学の一員として見られると共に、インターネットの検索によって見つかりづらく、アンダーグラウンドに潜むのを保持出来る方法である。



<Disaro〜Passions>

wikiの記事が、まさに感じていることを的確に説明してくれていたので面白かったので・・
このような感覚は「催眠」の項目を体感した後でwikiで調べた時位。説明するのがうまい人っているんだなあと感心する
以前、facebookなんかが人気が出て来る前、myspaceのコメント欄がちょうど、今のfacebookのwallや、tumblrのような、画像や動画を相手のページに貼付けたりする空間になっていた。
それはそれで面白いコミュニケーションだと思っていたけれど、その頃私は毎日、HTRKのページをチェックしていて、HTRKのページにはやはり時々、面白い人が面白いことをやっていたりする
その中でも、去年辺りか、DISAROという人のコメントが、断トツで目を引いたので、すごく気になってその人のページに行ったことがある。
その人はDISARO(Robert)というページも持っていて、曲も友達もみな謎めいていてカッコ良かった。
レーベルらしいのだが、良くわからず、インターネットで検索してもその人のマイスペースのページしか、その頃は出て来なかった。
このDisaroの周辺のバンドは、魔術的で、でもビートがあって、憂鬱で、確かにある一定の方向性があるのだった。やがて、Passionsというバンドに行き着き、PassionsにCDはないのか?と聞いた所、Disaroがレーベルだから、Disaroに郵送か何かでお金を送ってくれ(ネットでは売っていない)、と言われ、結構驚いた。今ではデジタルで全然買えるけど
このPassionsを通じて、ロンドンへ去年11月に行った時にお世話になった、Neurotic Mass MovementのYinやDavid達とも知り合うことが出来た。


そうこうしてるうちにfacebookの方がmyspaceよりも何となく熱くなって来て、facebookでdisaroを探した所、その周辺に、すごく変な人達がいることに気付いた。特徴は、wikiに書かれてる「witch house」で網羅してる感じ
黒魔術的で、サンプリングや、そんなにハイクオリティじゃない機材を使ってる感じ、ヴィジュアルも、でもロマンティック、
ロンドンへ行ってからは、カルメンのボーイフレンドがまた面白い人で、明らかにこの流れの特徴を持っていて芸術的だった。そして彼らの流れでまた周囲にそういう人たちが増えた。「アンダーグラウンドで流行ってるのかな?」とずっと不思議だったが、最近、oOoOOが好きだと言った所、「oOoOOはウィッチハウスの中でも好きなバンドだ」とEthenに言われたので、
「ウィッチハウスってなんなの?Disaroと関係あるの?」と言うと、
「ウィッチハウスは音楽のジャンルで、Disaroはウィッチハウスの曲を沢山出しているレーベルだ。」と教えて貰った。
この「ジャンル」というのには、目からウロコだった。
それまで曖昧な印象で共通点を感じていたんだけど、確かに、ジャンルだ・・
そして「witch house」という名前がまたいいなと思った。魔女のハウス?

<才能を感じる人を何人か紹介・・>
彼らがwitch house...なのかは良くわからないが、個人的に現時点で同じ流れで気になっている人たち
彼らのことは、mixやmix tapeを通して主に知った。例えばoOoOOを知ると、SALEMを知ることになる

有名だけど・・
SALEM
ヴィジュアルセンスも本当にすごい

ijĒŞǙŞ ҚĦŖİŞŢ
年下(*実際には同い年だったみたい)で、曲とかは、正直、私でも機材があれば作れそうな感はあるが、笑 
見ている感じが違う、
CGやデジタルを使っているけど、人真似のセンスの悪い数字とかではなく 自分の感覚から出現したような、
破壊感のある電波的な要素として使っている。サンプリング(映像の方)の仕方も無意識的でいい。「人生は変だ、」と言っていた。






調べたらいくつか記事があった。
去年盛り上がってたんだ・・ 知らなかった。
http://www.dommune.com/ele-king/review/album/001372/


〜ちなみに今年、USメディアがもっとも注目しているのがウィッチ・ハウス(魔女のハウス)で、本作の1曲目(続く2曲目)がまさにそれだ。ウィッチ・ハウスとは......何も魔女の格好をしたDJがハウスをスピンするわけではない。大雑把に言えばUKダブステップ(というか主にブリアル)へのリアクションのひとつである。手法的にはヒップホップのチョップを好み、その出自にはエレクトロクラッシュ系の流れも絡み、あるいはそう、お察しの通りザ・XXの影響も受けつつ、そして"ドラッグ(drag)"や"ホーンティッド(幽霊)"とも呼ばれていることからも察することができるように、ウィッチ・ハウスはより薄気味悪くダークで、UKダブステップの暗さがアメリカ系ゴシックやホラーの文脈に落とし込まれたダンス音楽のスタイルのように思える。
この"新しいアメリカのアンダーグラウンド"に関しては英米間でずいぶんと激しい議論がある。最初に仕掛けてきたのは僕が知る限りではUKの『ガーディアン』で、今年の初めに同紙は、「ブロガー・ロックは政治的鋭さを欠いている」という皮肉たっぷりの論考を掲載している〜(野田努)


←この後が更に面白い




Cross Beatにも載っていた。
http://www.barks.jp/news/?id=1000067165

そうです・・このバンドはまさにウィッチハウスです・・・


時代の流れの中にいるんだなあと感じる・・
あとPassionsもいいです。



skeleton kids http://skeletonkids.tumblr.com/mixes
SALEMも
http://s4lem.com/




(2012.7追記)

この日記で紹介させて頂いたアントニオ君(ijĒŞǙŞ ҚĦŖİŞŢ/




Antonio Urdiales)

は、去年亡くなってしまいました。http://obits.al.com/obituaries/birmingham/obituary.aspx?pid=153190600


その友人によって、彼の曲がまとめられています。
現在ボリューム2まで。
1 http://wowbobwow.bandcamp.com/album/ij-i-v-c-i-the-antonio-urdiales-collection-volume-one

2 http://wowbobwow.bandcamp.com/album/ij-i-v-c-i-the-antonio-urdiales-collection-volume-two

将来、彼の文章も含めた、物質的な音源も発売されるそう。
その時はまたお知らせします。