BLACK MOON, Model Yusei Yamamoto, Shot by Yokna Patofa

Saturday 28 August 2010

イーストリノ









イーストウッドのグラントリノを観た時、 私は銃乱射事件の、チョ・スンヒに対するイーストウッドの回答が少しでもあるのかもしれない、と思って見た。

でも実際の物語は朝鮮戦争に行った白人と、アメリカに住んでる一つの部族の中での話に・・私が感じる所では、すごく狭い、特定的な所で、留まった物語に見えた。 
 そして、この映画を観て、未来的に救われる人は誰もいないだろう。

成長物語的なご都合主義(なんでダメっぽかった主人公が好きな子に簡単に好かれることができるか。)なども気にかかったけどそれは別にいいとして
基本的に一番の問題はそこなんじゃないかとも私は思うが)


 ハリウッドで人種的なことを描くのに色々しがらみがあるというのは聞いたことある
グラントリノではすごく巧妙に、そこに対する脚本的な気遣いは見受けられた。

悪いことをするのも、心を通わす方の人も、同じ部族である、
だから別に、特定の人種や、部族が悪いわけではない、そういう変な平等さのアナウンス、しかも意図的な、を感じた。

でも
物語としては面白いとか、映画の流れやまとまりとして素晴らしいとか、
それだけなら、特に新しく作るべき映画ではないのでは?

もっと色々やれることがあるんじゃないのか?と苛立った。



また、もしも割り切って、ジュヴナイル的な映画(ヒューマンストーリー)にするのなら、それはまたいいと思う。
でもあの女の子のリンチの描写はそういう面ではどうなのだろう?
私はイーストウッドの映画では良く見る感情の煽り方だと思ったし、
一般的に考えて一番心理的な衝撃を与える出来事とは、ああいった形での女性の扱い方だということは
誰でも思いつく。
明らかに一人だけ物語の犠牲にされてる感がある。


 
あの中で(イーストウッドの映画を観ているなかで)少し新しいと感じたのは、イーストウッドの最後の英雄的解決の仕方と、人種の扱い方に対する几帳面さ(差別的な表現がコミュニケーションのある文脈の中では微笑ましいものとなって..)
だけだった

 


 ずっと書きたかったけど周りがイーストウッド好きが多過ぎて、雑誌とかでも、
神の映画とか、全国的な雑誌で言う必要のないバカバカしいこと
言われてる感じだったので、あまり影響がなさそうな今、さりげなく書いておく..。

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