BLACK MOON, Model Yusei Yamamoto, Shot by Yokna Patofa

Wednesday 30 April 2008

江東区という所までは聞いた。(800字小説)

学校の課題で、ミステリーの800字小説が出たのですが、結構面白かったのでここにも書きます。
怒られたら消します。

『江東区という所までは聞いた。』










錯覚かもしれないが、先週の月曜日に天使を見た。



先々週の火曜日にうちに来た時、あの男が言った通り、あの交差点でだ。男は、「天使の首を持っている、」と言って、



「コレクションしている、色んな動物の頭部を、剥製にして、江東区のマンションの一室に置いてある。そのマンションの色は白だ。天気のいい日、青空に映えて爽やかに見えるからそこにした。ドアには、「Room of Ethiopia」と書いてある。血が濃くなった動物園では、ふしぎな形の動物が生まれる。その動物たちは、広く考えられているように、殺されたりは、実はしない。動物園のもっと奥には、『ふしぎな形の動物園』がある。彼らは生まれながらにして寿命が短いから、私はある人からその死体を貰っている。キリンなどは、勿論全身は運び込むのは無理だから、頭部だけだが。」



「一番のお気に入りは?」



私がそう尋ねると、男は左手で持っていたトランクを玄関に置いた。



「天使です。」



「天使ですか・・」



「あなたは信用しないかもしれないが、DNA鑑定してみればすぐわかる。螺旋状をしていない。階段状はしているが。」



「どこで天使の死体を見つけましたか?」



「池袋の交差点で。先週の金曜日に。」



「どんな頭部の・・?」



「見せたいのだが・・」



そう尋ねると、男は今度は歯がゆそうにトランクを持ち上げて玄関に置いた。



「事情があってね、ここも、“傍聴”されてないとは限らない。」



「池袋に行けば見られますか?」



「私も、実はすでに何回か見ていて、死ぬ瞬間を狙っていたんだ。恐らく池袋でよく遊んでいたんだろう。」



この時会って以来、男とは会っていない。ディズニーランドで、不可解な死を遂げたのだ。右胸をハートの付いた矢で刺しぬいてあった。死因は出血多量によるショック死ではない、溺死だ。







ところで私が会った天使についてだが、頭部がなく、キョロキョロと何かを探しているようだったので、私は以下の二点で歯がゆい思いがした。一つは、「頭部のある場所を教えてあげたいけど、江東区ということしかしらないし、」という点。もう一つは、これから何度この天使を見ても仲良くなっても私は、この天使の頭部がどのようであったかわからないのだ、という点。

Tuesday 8 April 2008

Victim Image


超みづらく聴きづらいのですが、一応アップしました。
ボーイミートマーメイドブラッドにエンジェル・イメージのシーンを加えてコラージュしたものです。
これからボーイミートマーメイドブラッドの方も完成させたいと思います。

キャスト

トラヒコ:松本 リョースケ
人魚:Lucy Mirror(ダークサイド・ミラーズ)
天使:タケル
紳士:野澤健


音楽
Htrk
Darkside Mirrors
Song Of Tibet
23 Skidoo

Shot by 鈴木修人(ボーイミートマーメイドブラッド)
     ヨクナ・パトーファ(エンジェルイメージ)

Directed by ヨクナ・パトーファ



音楽が、今回は、時間に対して使いすぎなのですが、どの音楽も好きでした。
23Skidooの音楽、初めて聴いたときは、うーんと思ったけど、今回聴いたら好きだった。イメージが浮かんだ。
Htrkは勿論好きだ・
西蔵の曲は去年ロンドンへ行ったときにバッキンガム宮殿?の近くのギャラリーで買ったやつ 好きでよく聴いてる
途中のミュージカル?シーンで人魚が歌ってるのはダークサイドミラーズのヘテロという新曲だけど、
頭から離れない


これから効果音なども作って、サウンドトラックの方も作ろうと思う
ただ23Skidooや僧の歌は使えないと思うので、探してるとこです
これや、他のバージョンでも、何回か上映したいと思いました。

Friday 4 April 2008

大変な事が起こった。





ふるさとに、最凶最悪の兵器が、落とされたのだ。
私は(首都)TOKYOでTVを、見ていた。(ふるさとは)ひどい有り様。
私は、十代の天使たちに応援を頼んだ。
緊急事態、緊急事態。

緊急事態。緊急事態。



angel image..
mermaid image..

holy image..
victim image..



昨日の記憶 
私の無気力


十代の天使達はふるさとのようすをすぐに教えてくれた「とにかく水と食料が不足している。」
「神様は一瞬見たようだが、あんまり感情移入出来ないようだ」
「感情どうこうの問題では無いはずだが。」


目=神様 夢、イメージ、 視野だけの神様は動けないのだ。
しかし最終的にはふるさとも物体なので、直す事はできる。
死んでも、灰、炭素、土に成れる。「灰、炭素、土。その状態でなにがいけない」?
でも・・ 思い出はすべて失われてしまった。
私たちの♥の中にあるものを兵器は主に壊した。
許せないが、私に何が出来るだろう
イメージする他ない、
私は本当に多くの事を忘れて来た。
主に風景を
色々な事を思い出す他ない

angel image..
mermaid image..

holy image..
victim image..



昨日の記憶 
私の無気力

Wednesday 2 April 2008

ピナ・バウシュ観て、

エンジョイ、って言う事の意味がすっとというか、ベチャッと、存在自体が溶血してそれが回復する段階ですとんとわかって来た
すでに高野さんから、遊ぶ事の重要性については聞いていたが、そして深く理解していたが、そういうアーティストが今後の世界の中で人々の絶望をなくすために、すごく重要なのは確かだけど、自分はそういうタイプの人間ではないと思っていた。
しかし今回、アーティストの目的、また絶対必要な姿勢として、一見しての色は違えどやはり究極の所はそれしかない、程度にそれを信じ込まざるを得なくなった。パレルモ・パレルモの方が、うわさでは恐らく社会の問題が含まれてて、フルムーンなんて全く政治的じゃないのに、そういう社会が良くなって行くためにはていうような事を,物凄く感じたのはやはりピナ・バウシュの根底にある態度からなのか?それとも深く衝撃を受ける時、何も出来ていない自分を通って、そういうとこへ自動的に考えが行く生物なのか?(人間)
ダンサー達は全力で踊っていた。その全力さたるや、本当に凄く、でも全力なんだけどものっすごい楽しい、そして哀しい。ピナ・バウシュのような人がいるから、凄い人は更に凄いを目指せるんだろうな  でも人間という限られた存在の中での、遊びof遊びってああいう事だと思う あの中に、私がいてもおかしくない。ていうのは、ダンサーとしてじゃなくて、世の中の一人として、おかしくないどころか ああいうのが絶対私の中にも有る。 またしても、日本の閉塞感と、日本人である事を感じた。 
あといくつかピナバウシュ見て色々を知ってからずっと考えてる事があって、一つは自然な意味での宗教でもう一つは言語で、これはピナバウシュについて皆言っていることを読んでいて、それを聞いて私も考えざるを得なくなった。というのは、ピナ・バウシュ本人が「説明の要らない表現」というように、本当に説明が要らない身体表現だったからだ。それがなんで説明が要らないのか、でもよくわからない!表象文字のような感じといったらそうだけど、でもゼッタイ物質としてない、この世にないものまでも含んだ表現で、で、それがなぜ直観的にわかるんか、よくわからない!本当に、ピナバウシュの姿勢は追求と言う感じだなあ これまでコンテンポラリーダンスや舞踏は観て来たけど、究極的には「べつに。」という感じだった。ロンドン行った時、テイト・ブリテンを別にいいやと思って観て来なかったんだけど、(今はちょっと後悔してるけど)そんな感じ。いつでも見れるしコピーも氾濫してるし、美しさも予測可能な範囲だ
 でもピナ・バウシュの舞踊は違った。
宗教については、究極的なとこ行くとゼッタイ行き着くとことしての宗教で極めて抽象的に自分の中では使ってる言葉だ。例えば、サッカーのプレーを「芸術的」というような感じで、宗教的って言葉を使ってる、芸術に芸術的って言ってもおかしいのは確かだけど、褒め言葉のステージが上がって宗教、とかって意味じゃなくて、多分なんかあるんだろうけどこれから考えようと思う

ちょうど今、デレク・ジャーマンのヴィトゲンシュタインを観直していてそっちからも言語についてのアプローチがあった。アプローチがあると言っても、別に何か人に言うために考えだしたり、理解したりするつもりはなくて、ただ自分なりにどういう事をその事について思っているのか、何か知っているのか、何も知らないのか、何か出来そうか、全く手も足も出ないか、と言う事を確認してぼーっとみてる感じで、抽象的に宙づりにしている。(奇しくも現在、maherの「suspended season」を聴いている。)結果については、こういう風な説明の中でじゃなくて表せたらいいなって思う、


<バレエについて>
バレエについては、今年からやるけど、なんでやるのかというと、「バレエやった方がいい」と言われたからだ。
じゃなかったら自分の発想の中には全く有り得ないバレエだ。

なぜ私がやらなきゃいけないのかというと、バレエだとふざけてると怒られそうだかららしい。
笑ってごまかしたりが効かないというか、バレエだとそれやってると本気で怒られそうだからいいらしい。
日本舞踊も(そう言う意味で?)やりたかったけど、茶道も。日本舞踊はちょっと私の中にすでに要素としてありそうらしい。
バレエは全く無いらしい。それは何となくわかる(日本舞踊も本当は間違いなく全く無いんだけど。)
私も自分でも、「バレエやったら相当革命だなあ」と思う・・

<最近気になってること>
ストレッチ、マカロン、チャイ(自分でつくる。