BLACK MOON, Model Yusei Yamamoto, Shot by Yokna Patofa

Saturday 29 November 2008

・・






幼稚園時代に「なんでこの遊びはこんなに面白いんだろう?」って思った遊びがあって、
クレヨンでまずカラフルに紙を塗ってから、その上に真っ黒のクレヨンを重ね塗りする。
そして真っ黒になった上を針金で引っ掻いて絵を描く。
すると黒い画面の中に、最初に塗った、下の色が出て来て、思いがけないきれいな色の線が出て来る
その遊びが物凄い好きだったことを覚えています。
引っ掻くという所もいいし、色もすごくきれいだった。

あと、すごく晴れた日、何かの練習が終わって教室に帰る時に、皆で庭に並んでいて、先輩の子達が前で、雲の話をしていた。
それで何かの拍子に、「雲に乗ったら落っこちちゃうよ」って言葉が耳に入って来た。
その時、ガガーーーーン!!!!!!と、頭を殴られるようなショックをくらったのを覚えています。
科学的には勿論知っていたのですが、
本当に乗れない、乗ったら落っこちる、といざ聞いてみると、何か、もう取り戻せないものをなくした気がした。
聞かなきゃ良かったと思った。聞いて良かったけど、聞かなきゃ良かったと思った。


あと、どう考えても自分に一番の影響を与えたに違いない出来事の一つ・・
小学二年位の頃に、毎年夏休みには、一人でおばあちゃんちに預けられていたのですが、外で遊んでると、チョウチョがいた。
それでチョウチョをつかまえようと思って、つかまえた。
つかまえたと思って、チョウチョの顔を見た。

すると、そこには私の手に掴まれて、無表情で、こっちをじっと見つめてる何かがいた・・

思わずぞっとし、すぐ手を離すと、ひらひらとチョウチョは何も無かったように飛んで行った
その時何か自分の中で決定的なことが起きた・・

シゲさんは、「道ばたの花を見て、これが宇宙だ、とわかった」と言っていた。
それで私が「私もチョウチョを見てそれを思いました、それは精神で、狂気だと思います」と言ったら、
「いや、違う、それはnatural(自然)だよ」
と言っていたんだけど、それはシゲさんがやっぱり、ロマンティックなんだなと思う。

私にとって宇宙は、あのチョウチョの目を介して「完全に狂気」ということがわかる
しかしそれは人の尺度で考えているだけで、本当はあっちのが正しいというか、本質なのだろうと思う。
それはそうで、このブログの右下の方にも宇宙写真があるんだけど、「何やってるんだろう?」と思ってしまう。宇宙に対して。
私も勿論何もやっていないのだが、宇宙も一体何やってるのかな、と・・
私の細胞やら、恒常性を保つ仕組みも、何やってるのかなと・・・
そういうのは「知る」「知らない」「わかる」「わからない」で考えちゃいけない問題なのかなとも思う・・
人間の「ある」と「なし」でしか考えられない頭の仕組みこそが限界で・・
全然違う軸があるだろうに、全然わからないしわかれることもないし、余り考えない方がいいのだろう・・

でも知りたいというか、もっとこの、「ガーン!」というのを感じたい思いが常に有る

色とか、雲とか、蝶とか、(こう書いてみると象徴的な現象ばかりだが・・)


あるしファンタジーも欲しいし・・

Wednesday 15 October 2008

極めて孤独、超個人的、21世紀のジョナス・メカス- インディヴィジュアル・フィルム・フェスティバル'08入選、ヨクナ・パトーファ監督作 原宿KINEATTICにて上映

日程 2008年 10月30日
時間 20時45分
料金 500円
会場 原宿KINEATTIC http://www.kineattic.com/access.html


原宿KINEATTICで行われます、IFFに映画が入選しました。
インディヴィジュアル・フィルム・フェスティバル2008  http://www.individualfilm.com/
上映される映像は、YOUTUBEとは比べ物にならない程、刺激的で美しいと思うので、  
映画館では、今後上映しようとは思わない超個人的作品で、  レア上映なので、  良かったらいらして下さい。





『<危なっかしく再生される、もう何も、覚えてない夜・・>  まるで誰かの胎内のように、  孤独に包まれたトイレットの中で、一人一人の時間を過ごす人々...
ドラッグの売人は自らの想念を壁に描くペインターを創り出し <kill time in toilet>  客を待つ週末の娼婦は落ちることを望みながら、永遠の美しさの夢を見る  <weekend>
世界の崩壊の予感と、 夜毎、自殺の真似事を繰り返す青年の、死の近似値まで繰り返される自らの否定..        その夜の先に、なにがあるのか?
 本作は、全篇を通して、撮影を監督自身が務め、彼女と、ごく親しい関係になった出演者のみで撮影は進められた、真に個人的な作品である。』
出演 Cast
Takeru Terada 寺田 タケル  Tsubaki Oshima 大島 椿  Touha Yoda 依田 踏破  Mai Nishino 西野 麻衣(Disco del rey)  Ryou Kiriakehata 切明畑 遼(天国畑)  Teru 晃
Music  Milhaven the east is red
■映画祭趣旨
21世紀のジョナス・メカスは、ケイタイ越しに世界を掌握する−−−。
「個人映画」という言葉は、これまで一部アート系作品を除く商業映画の世界では、内省的で非娯楽的な作品への批判的表現として使われて来た側面があります。しかし、今や極めて個人的な日記や趣味を世間に公表するブログやSNS、公園や自宅の一室で撮影したパフォーマンスが動画で公開されるYouTubeなど、ミニマムな個人的表現の場から多大な視聴数を獲得する才能が現れ、まさに世界は個人表現における革命期を迎えつつあります。『Individual Film Festival』は、そんな時代の中で改めてインディペンデント精神の根本を見直し、あえて商業映画では成し得ない「個 (Individual, Personal)としての表現」をテーマに、ドラマ、ドキュメンタリーだけでなく、日記映画、ホームビデオ、写ムービーなどあらゆる表現ジャンルを包括した究極の個人映画の祭典として、真のエンターテイメントと次代の映画表現を考察する5日間です。
○会 場  原宿 KINEATTIC  http://www.kineattic.com/

Friday 5 September 2008

PV完成 Splinters-Susan Matthews(2008)

Splinters-Susan Matthews(2008)

Hello! I made a new music video with Susan Matthews.

While I made this video, I was thinking about that "my body" is made of the same meat of this world and this history.

my body,my existence, my geist is made of many splinters.
disruption dissociation fission,and integration.
I wanted to impress these visions.
I was inspired by (of course Susan Matthews,)Maurice Merleau-Ponty,Georg Wilhelm Friedrich Hegel(my reading!)and......M.Gondry(a famous man)!
I love Susan's music.
Her music is sublime and full of quietness.
and sometimes funny like nice toy box turned over.
It's so soft but pierces me.
relieving me with strong shock. 
And she is so kind, elegant.

Please check it.

Susan MatthewsのSplintersのビデオが出来ました。
面白い感じになっていると思うのでぜひ観てみて下さい


http://jp.youtube.com/watch?v=4w-fXIqzS4Q

Susan Matthews-Splinters 

Cast/ Susan Matthews
Shot by Mark Ingram,Yokna Patofa
-Directed and Edited by Yokna Patofa(欲名 鳩刄)

Susan Matthews Axis Vein
"Splinters"(2008)


SUSAN MATTHEWS

...the most important female British artist of our time... Alan Milne, 2008

A UK based avant-garde experimental composer, known for her intense, ambitious, hypnotic harmonies and industrial noise creations.

Her music...

...tangles the brutal with the fragile in a forbidding texture of sound that penetrates on so many levels at once, it's like being touched by a ghost... Dan Schaffer


NEWS

NEW SOLO ALBUM 'AXIS VEIN'

Susan's fifth solo album Axis Vein will be released on 16th July 2008. Featuring ten tracks designed to carry you...

'...through various stages of terrifying emotional vivisection and inquietude'
Susan Matthews
myspace http://www.myspace.com/susanmatthews
Web site http://www.sirenwire.com/

Yokna Patofa is making savage films and visionary videos in Japan.
Yokna Patofa web(elvis-vs-demon-6over)
http://space.geocities.jp/qbbhq401/

スプリンターズ
キャスト スーザン・マシューズ(UK)
監督・編集 ヨクナ・パトーファ(JP)


このビデオについては、いくらでも説明出来る程、哲学(やり方という意味じゃなく、世界に対する解釈)を映像化したつもり(自分では)なのですが、・・つまり、ヘーゲルっていうのが自分の中にはすごくあるわけで、ヘーゲル、という時いつも思い浮かぶ、ストリーム・イメージがある 
それと、スーザンの、「Splinters」という曲の自分なりの解釈、本来は、このSplintersという曲には、Splinters in my fingertips、だけじゃなくて、いくつかの歌詞があって、その中に、破片が体を切って行く、というものがあった。これはネガティブにも捉えられるけれども、精神の状態というのは、常にそういう、分裂したものが集まっている状態なんじゃないかと思うし(体の細胞でも、有名な話だけどミトコンドリアも昔は別の生物だった、という意味でも言えるし、もっと観念的に言うならば、手は私?とか良く有る議論になる)、またそれは、この世界や、歴史の体と同じという意味で、前の前くらいの日記に書いた、私の体=歴史=世界という事になるまで、このビデオを進めたい、というのがあった。そしてそれはわりと成功したという感じが個人的にはしています
こういう風に言葉で言うと、そういう感じだけど、最初は、スーザンが送って来た曲がノイズじゃなくてこういう明るいっていうか、にぎやかな感じだったので、それといくつかの要素を一気にひっくり返すやり方で作りました。
 自分の技術的に足りない所もわかり(フラッシュとか、結局使えなかった。)、すごく面白い作業でした。

あとメルロ・ポンティにもちょっと影響されたりもしてるんだけど、
ブレインや目を受容器と考えるのとかは、誰が言ってるか、誰か言ってたのか自分の妄想かどうかは知らないけど、そういうのとか。
でも最終的にはそこら辺はどうでもいい、というか、映像化した時点で昇華しました!
ぜひ観てみて下さい、あと、問題はTime is a thiefだ〜〜!

Thursday 12 June 2008

コーシャ・フェレンツ監督作に関する、ハンガリー文化センター様からの回答



はじめまして。
ハンガリーの映画監督、国会議員でもある、コーシャ・フェレ
ンツ監督の映画を観る機会について、質問をしたく思い、メー
ル致しました。

ゴダールとトリュフォーや、シュバンクマイエル監督とのオム
ニバス映画『水の話』で、コーシャ・フェレンツ監督の、『詩
人ヨーゼフアッティラの少年期』を観て、とても素晴しいと思
い、他の作品もぜひ拝見したいと思い調べたのですが、
1967年カンヌ映画祭監督賞を受賞というデータもあるのに
、日本で紹介されている様子が余りなく、詩人ヨーゼフアッテ
ィラ以外はビデオでも見当たりませんでした。

イギリスとアメリカ、フランスのアマゾンでも見つからなかっ
たのですが、ハンガリー文化センターで、これから観る機会を
作っていただく事は可能でしょうか?
もしくは、ハンガリー国内でなら、コーシャ・フェレンツ監督
のビデオは多く流通しているのでしょうか。


関連URL
一万の太陽を来日時に上映http://dac.gijodai.ac.jp/npo-dac/buda/syosai/s_7.htm


Re: ハンガリーの映画監督、国会議員、 kosa ferenc 監督についての質問
Date: Tue, 10 Jun 2008 11:31:43 +0900 (JST)


コーシャ・フェレンツ監督の映画作品についてですが、
ハンガリーの書店の通販サイトでもヒットしませんでした。
入手は比較的困難ではないかと思われます。

当センターでも、A Masik Ember「別人」I, II(英語字幕つき)
のみしか所蔵しておりません。
上映会等の予定はありませんが、センター開館時間内であれば、
ご来館のうえ視聴が可能です。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
ハンガリー文化センター / Tokii Magyar Kulturlis Kzpont
Tel: 03-3798-8857
e-mail: hcc@slav.hokudai.ac.jp
URL: http://src-h.slav.hokudai.ac.jp/hungary/index.html





最近よく聞かれるようになった、好きな映画

コーシャ・フェレンツ 詩人ヨーゼフ・アッティラの少年期
クリストファー・ドイル 孔雀
ブライアン・デパルマ ファム・ファタール
デレク・ジャーマン ラスト・オブ・イングランド
マルグリット・デュラス インディア・ソング
寺山修司 草迷宮 田園に死す
ピーター・グリーナウェイ ZOO
イングマール・ベルイマン 沈黙 秋のソナタ
デヴィッド・リンチ 停電(ブラック・アウト)in ホテル・ルーム・トリロジー
オーソン・ウェルズ 審判 上海から来た女
阪本順治 顔
ストローブ=ユイレ アメリカ(階級関係)
ジム・ジャームッシュ パーマネント・バケーション
ジョン・ヒューストン マルタの鷹
勅使河原宏 他人の顔
増村保造 卍
ミケランジェロ・アントニオーニ 赤い砂漠
ヴェルナー・ヘルツォーク フィッツカラルド
北野武 その男、凶暴につき
石井隆 死んでもいい
ダリオ・アルジェンント サスペリア2(DEEP RED)
ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー 愛は死より冷酷
ベルナルド・ベルトリッチ 暗殺の森

少し趣向を変え、「弟にみせたい映画」

ジョン・カサベテス グロリア
鉄塔武蔵野線(でももっといい映画だと思った。)
サスペリア2
青山真治 ユリイカ 
Helpless
サッド・ヴァケーション
ヘクトール・バベンコ ピショット
ラリー・クラーク KIDS
ハーモニー・コリン ジュリアン
デヴィッド・リンチ 停電(ブラック・アウト) ホテル・ルーム・トリロジー
黒澤明 夢(キツネの嫁入りのやつ)
矢口史靖 ひみつの花園
りんたろう メトロポリス(アニメ)
大友克洋 AKIRA
ドニー・ダーゴ
がんばっていきまっしょい
北野武 キッズ・リターン
デレク・ジャーマン ヴィトゲンシュタイン
トム・ディチロ ジョニー・スエード
小津安二郎 秋刀魚の味
アッバス・キアロスタミ ともだちのうちはどこ?
ジム・ジャームッシュ ダウン・バイ・ロー
SABU  ポストマン・ブルース

Wednesday 30 April 2008

江東区という所までは聞いた。(800字小説)

学校の課題で、ミステリーの800字小説が出たのですが、結構面白かったのでここにも書きます。
怒られたら消します。

『江東区という所までは聞いた。』










錯覚かもしれないが、先週の月曜日に天使を見た。



先々週の火曜日にうちに来た時、あの男が言った通り、あの交差点でだ。男は、「天使の首を持っている、」と言って、



「コレクションしている、色んな動物の頭部を、剥製にして、江東区のマンションの一室に置いてある。そのマンションの色は白だ。天気のいい日、青空に映えて爽やかに見えるからそこにした。ドアには、「Room of Ethiopia」と書いてある。血が濃くなった動物園では、ふしぎな形の動物が生まれる。その動物たちは、広く考えられているように、殺されたりは、実はしない。動物園のもっと奥には、『ふしぎな形の動物園』がある。彼らは生まれながらにして寿命が短いから、私はある人からその死体を貰っている。キリンなどは、勿論全身は運び込むのは無理だから、頭部だけだが。」



「一番のお気に入りは?」



私がそう尋ねると、男は左手で持っていたトランクを玄関に置いた。



「天使です。」



「天使ですか・・」



「あなたは信用しないかもしれないが、DNA鑑定してみればすぐわかる。螺旋状をしていない。階段状はしているが。」



「どこで天使の死体を見つけましたか?」



「池袋の交差点で。先週の金曜日に。」



「どんな頭部の・・?」



「見せたいのだが・・」



そう尋ねると、男は今度は歯がゆそうにトランクを持ち上げて玄関に置いた。



「事情があってね、ここも、“傍聴”されてないとは限らない。」



「池袋に行けば見られますか?」



「私も、実はすでに何回か見ていて、死ぬ瞬間を狙っていたんだ。恐らく池袋でよく遊んでいたんだろう。」



この時会って以来、男とは会っていない。ディズニーランドで、不可解な死を遂げたのだ。右胸をハートの付いた矢で刺しぬいてあった。死因は出血多量によるショック死ではない、溺死だ。







ところで私が会った天使についてだが、頭部がなく、キョロキョロと何かを探しているようだったので、私は以下の二点で歯がゆい思いがした。一つは、「頭部のある場所を教えてあげたいけど、江東区ということしかしらないし、」という点。もう一つは、これから何度この天使を見ても仲良くなっても私は、この天使の頭部がどのようであったかわからないのだ、という点。

Tuesday 8 April 2008

Victim Image


超みづらく聴きづらいのですが、一応アップしました。
ボーイミートマーメイドブラッドにエンジェル・イメージのシーンを加えてコラージュしたものです。
これからボーイミートマーメイドブラッドの方も完成させたいと思います。

キャスト

トラヒコ:松本 リョースケ
人魚:Lucy Mirror(ダークサイド・ミラーズ)
天使:タケル
紳士:野澤健


音楽
Htrk
Darkside Mirrors
Song Of Tibet
23 Skidoo

Shot by 鈴木修人(ボーイミートマーメイドブラッド)
     ヨクナ・パトーファ(エンジェルイメージ)

Directed by ヨクナ・パトーファ



音楽が、今回は、時間に対して使いすぎなのですが、どの音楽も好きでした。
23Skidooの音楽、初めて聴いたときは、うーんと思ったけど、今回聴いたら好きだった。イメージが浮かんだ。
Htrkは勿論好きだ・
西蔵の曲は去年ロンドンへ行ったときにバッキンガム宮殿?の近くのギャラリーで買ったやつ 好きでよく聴いてる
途中のミュージカル?シーンで人魚が歌ってるのはダークサイドミラーズのヘテロという新曲だけど、
頭から離れない


これから効果音なども作って、サウンドトラックの方も作ろうと思う
ただ23Skidooや僧の歌は使えないと思うので、探してるとこです
これや、他のバージョンでも、何回か上映したいと思いました。

Friday 4 April 2008

大変な事が起こった。





ふるさとに、最凶最悪の兵器が、落とされたのだ。
私は(首都)TOKYOでTVを、見ていた。(ふるさとは)ひどい有り様。
私は、十代の天使たちに応援を頼んだ。
緊急事態、緊急事態。

緊急事態。緊急事態。



angel image..
mermaid image..

holy image..
victim image..



昨日の記憶 
私の無気力


十代の天使達はふるさとのようすをすぐに教えてくれた「とにかく水と食料が不足している。」
「神様は一瞬見たようだが、あんまり感情移入出来ないようだ」
「感情どうこうの問題では無いはずだが。」


目=神様 夢、イメージ、 視野だけの神様は動けないのだ。
しかし最終的にはふるさとも物体なので、直す事はできる。
死んでも、灰、炭素、土に成れる。「灰、炭素、土。その状態でなにがいけない」?
でも・・ 思い出はすべて失われてしまった。
私たちの♥の中にあるものを兵器は主に壊した。
許せないが、私に何が出来るだろう
イメージする他ない、
私は本当に多くの事を忘れて来た。
主に風景を
色々な事を思い出す他ない

angel image..
mermaid image..

holy image..
victim image..



昨日の記憶 
私の無気力

Wednesday 2 April 2008

ピナ・バウシュ観て、

エンジョイ、って言う事の意味がすっとというか、ベチャッと、存在自体が溶血してそれが回復する段階ですとんとわかって来た
すでに高野さんから、遊ぶ事の重要性については聞いていたが、そして深く理解していたが、そういうアーティストが今後の世界の中で人々の絶望をなくすために、すごく重要なのは確かだけど、自分はそういうタイプの人間ではないと思っていた。
しかし今回、アーティストの目的、また絶対必要な姿勢として、一見しての色は違えどやはり究極の所はそれしかない、程度にそれを信じ込まざるを得なくなった。パレルモ・パレルモの方が、うわさでは恐らく社会の問題が含まれてて、フルムーンなんて全く政治的じゃないのに、そういう社会が良くなって行くためにはていうような事を,物凄く感じたのはやはりピナ・バウシュの根底にある態度からなのか?それとも深く衝撃を受ける時、何も出来ていない自分を通って、そういうとこへ自動的に考えが行く生物なのか?(人間)
ダンサー達は全力で踊っていた。その全力さたるや、本当に凄く、でも全力なんだけどものっすごい楽しい、そして哀しい。ピナ・バウシュのような人がいるから、凄い人は更に凄いを目指せるんだろうな  でも人間という限られた存在の中での、遊びof遊びってああいう事だと思う あの中に、私がいてもおかしくない。ていうのは、ダンサーとしてじゃなくて、世の中の一人として、おかしくないどころか ああいうのが絶対私の中にも有る。 またしても、日本の閉塞感と、日本人である事を感じた。 
あといくつかピナバウシュ見て色々を知ってからずっと考えてる事があって、一つは自然な意味での宗教でもう一つは言語で、これはピナバウシュについて皆言っていることを読んでいて、それを聞いて私も考えざるを得なくなった。というのは、ピナ・バウシュ本人が「説明の要らない表現」というように、本当に説明が要らない身体表現だったからだ。それがなんで説明が要らないのか、でもよくわからない!表象文字のような感じといったらそうだけど、でもゼッタイ物質としてない、この世にないものまでも含んだ表現で、で、それがなぜ直観的にわかるんか、よくわからない!本当に、ピナバウシュの姿勢は追求と言う感じだなあ これまでコンテンポラリーダンスや舞踏は観て来たけど、究極的には「べつに。」という感じだった。ロンドン行った時、テイト・ブリテンを別にいいやと思って観て来なかったんだけど、(今はちょっと後悔してるけど)そんな感じ。いつでも見れるしコピーも氾濫してるし、美しさも予測可能な範囲だ
 でもピナ・バウシュの舞踊は違った。
宗教については、究極的なとこ行くとゼッタイ行き着くとことしての宗教で極めて抽象的に自分の中では使ってる言葉だ。例えば、サッカーのプレーを「芸術的」というような感じで、宗教的って言葉を使ってる、芸術に芸術的って言ってもおかしいのは確かだけど、褒め言葉のステージが上がって宗教、とかって意味じゃなくて、多分なんかあるんだろうけどこれから考えようと思う

ちょうど今、デレク・ジャーマンのヴィトゲンシュタインを観直していてそっちからも言語についてのアプローチがあった。アプローチがあると言っても、別に何か人に言うために考えだしたり、理解したりするつもりはなくて、ただ自分なりにどういう事をその事について思っているのか、何か知っているのか、何も知らないのか、何か出来そうか、全く手も足も出ないか、と言う事を確認してぼーっとみてる感じで、抽象的に宙づりにしている。(奇しくも現在、maherの「suspended season」を聴いている。)結果については、こういう風な説明の中でじゃなくて表せたらいいなって思う、


<バレエについて>
バレエについては、今年からやるけど、なんでやるのかというと、「バレエやった方がいい」と言われたからだ。
じゃなかったら自分の発想の中には全く有り得ないバレエだ。

なぜ私がやらなきゃいけないのかというと、バレエだとふざけてると怒られそうだかららしい。
笑ってごまかしたりが効かないというか、バレエだとそれやってると本気で怒られそうだからいいらしい。
日本舞踊も(そう言う意味で?)やりたかったけど、茶道も。日本舞踊はちょっと私の中にすでに要素としてありそうらしい。
バレエは全く無いらしい。それは何となくわかる(日本舞踊も本当は間違いなく全く無いんだけど。)
私も自分でも、「バレエやったら相当革命だなあ」と思う・・

<最近気になってること>
ストレッチ、マカロン、チャイ(自分でつくる。

Friday 28 March 2008

Landscape and unidentified 1







last,Derek Jarman is my most favorite director,poet,artist.
at last,I noticed that I really like his films.
until now, I have been making light of him,his attitude.but,exactly,I always love him.
I don't like war requiem,and I was very disappointed in that video.
I think he has many weak points.
But i noticed that he is exactly special for me again.
in the fact,I already knew he was special at first sight of" last of england" (my first experience of his film.)It perfectly fascinated me.

I understood something I wanted to know,wanted to feel,look straightly.


I met him,the beautiful and delicate and precious radical line,derek jarman.


He was gay,and had HIV career, I don't like the scene he was talking about these themes.
Because I think his films are transcending themes for only those days' society .
of course,in some meaning,these are connected to the film itself strongly,but,i sometimes feel something confined.
I think his love is more wide.
Not only in the meaning of sexuality,but also more essential,it is the love between human,between life,world,such as friendship.
and I like attitudes keeping silence.
I wanted him to only make Blue,and not to answer the interview.
But.. lately,I remember what I thought first when I met his film(Last of England, Wittgenstein).
I knew nothing about him,his life.


I guessed "he is sure to be one of the master of cinema".
but this hope was broken when I saw edward second
"what delicate person he is..
"he has strange humor..
"he doesn't look severe.."
But in stead of fear(from respect),deep, violent sympathy rose in my mind bitterly.
I use the word "sympathy" with all meaning.


So,he is special,exactly special for me.
he is preciously different from other directors however great they are!
he invented the real and "right" meaning of "personal".
personal that has "love" and "after death".
after death, what lasts?
I can't know,but I see, the vision of static unidentified landscape.
or,dynamic slowmotion of lover's smile.slow motion angel.
fast-forward memories.
unidentified someone's sight.
it is love.
love, with wide but personal meaning.
personal but without ego.



lonliness,it is problem.
but beautiful in some meaning.
bitter..in same meaning of sweet..
I want to share this emptiness with you.. Oh no,
this is his word.

BGM:Coil the dreamers are still asleep

Next,Landscape and unidentified 2 " and Marguerite duras and Edward hopper".

Saturday 22 March 2008

ヴェナリ、暴力、エレガンス

にしすがも創造舎にて、TIF08、three spellsを観て来た。『毛皮のヴィーナス』、『ヴェナリ』、『アレコ』の三作で、『ヴェナリ』のAlexandra Meinの衣装がめちゃくちゃカッコよかった。
 音楽はクリスチャン・フェネス。音楽すごいよかった。
 どれも、最初の方はしろうと目にも物凄く衝撃的ですごかった。 特にヴェナリはイメージが全体的にすごく好きだった。『毛皮のヴィーナス』の衣装はアンダーカバーが担当している。笑うとこじゃない所で笑えたりもした。
 内容は、毛皮のヴィーナスは、なんだろ・・ すごい単純なだけに説明が難しい。スポイルすることになるかもしれないが、起こった事を言うと、まず、毛皮の塊が舞台上に現れる。背景の白いスクリーンには異形の影が映る。それから手のような、海洋動物の触手みたいな、猫の手の遺伝子的な間違いのような、長い角みたいなものが伸びて、その中から、思いもよらない感じで女性が生まれる。女性と毛皮の対決が行われる。この時毛皮をめちゃくちゃ振り回す。ここが多分笑ってはだめなんだけど、物凄いツボで笑いそうだった。途中よく覚えていないけど最終的に全身(顔まで)黒い薄い衣装に包まれた女性が二本足で立ち上がり、セレブっぽい感じの小さな(ブランドっぽいイメージ)バックをエレガントに抱え、私にとっては郷愁を思わせるどこかの国の歌を歌い、エレガントに立ち去る。
 ・・・私は最後のエレガンスが心に残って、一番シュールでいいと思ったんだけど、観終わった後しゃべったら、「退出する時泣いてた」と私の記憶と食い違うので、全然違うもの観ていたのかな、とも思う・・

『ヴェナリ』はイメージが本当に素晴しかった。角を今後どう考えても意識せざるを得ない。角コンシャスにさせられた。
 角が置かれていて、そこに角の欠如を感じさせる肉体が登場する、角と、角のない形がいい。
 そして角を自分のものとして生物は最後に立ち上がり吠える その立っている影と吠えるのがいい
 
 ・・・これは観た後話した所、一番素晴しい瞬間と言う事で意見が一致した。全編を通して、「立っている姿ってキレイだなと思った」というのは私も思った。
 
 この後エラスティックな棒を持った男が現れ、弓矢を構える形、猟銃で狙う形、剣を振るう形などをした後、置いてある角の上に片足をのせ、優雅にポーズをとる。

『アレコ』は和服を着た女性の長い髪の毛を足で自在に操りながらのすごい踊りの後、男がやって来て、女性に日本語で「すみません」と話しかける。女性は髪で男性と格闘(少林寺的な格闘?)を繰り広げる。途中よく覚えていないのだが、そうしてるうちに男は女性の髪をつかみ、調和し二人で歌を歌い始める。女性は自分の髪を切り、女性は死ぬ 男性は女性の切られた髪と、着ていた着物を持って歌いながら立ち去ろうとする途中で、女性が動かなくなっているのに気づき、今度は女性の体を噛み、起き上がらせようとするすごい一連の踊りが始まって、最後に男性のlament  

 昨日からずっと物語のテーマについて深読みしていて、三作品を通して観ていて、西洋の文明と西洋じゃない文化との対決のこと、人間の文化と搾取される動物(毛皮や角とか)が大きな軸としてあって、西洋的な反省の仕方だな、ということを漠然と考えていた そういう風に考えると、アレコで日本語の台詞があって皆ちょっと笑っていて個人的に寒さを感じた部分が、「ある文化(例えば日本文化)と西洋の文化との出会い、ハーモニー、美しい部分の搾取、搾取された文明の死」、みたいな事だというなら納得出来るなと思った。
 だけどそれにしては、観終わった後、「皮カッコいいな、角カッコいいな、毛皮欲しいな」と言う気持ちを喚起させる(私がそう思っただけかもしれないけど暴力は美しかった)のってどうかなと思ったし(そういうの本当に多くのヴィジュアルアーティストの人に感じるけど)、なんか西洋っぽいなとか、すごい上手かったんだけど、プロならもうちょっと上手くてもいいかなと(ここら辺はもう少し色々見なきゃわからないけど)思った。
 でもさっき解説を観ていたら、

『アレコ』
シャガールのバレエ背景画「アレコ」(1942年制作・青森県立美術館所蔵)の物語から着想を得て作られたデュオ作品。相手を愛するあまり殺してしまうという狂気的愛の形を、極限の身体表現から鮮烈に描き出す。驚異的な身体とグルジアの伝統歌唱によって、何もないシンプルな空間を極限まで満たし、見るものの心を強く共振させる傑作。(初演:2006年 青森県立美術館)

『新作・世界初演』
TIF'08の委嘱作品となる本作品は、D.ジャレ振付・出演によるソロ作品。女神アルテミスの入浴中の裸体を誤って目撃してしまったために鹿に変えられて自分の猟犬に食い殺されてしまったギリシア神話の登場人物、アクタイオンを創作の出発点とし、本作ではベルギーの造形作家アレクサンドラ・メインを舞台美術に起用、コラボレーションを行う。

『毛皮のヴィーナス』
2007年欧州文化首都リュクサンブールでのファッション企画展「Dysfasional」による委嘱ソロ作品。衣装は高橋盾/アンダーカバーのコレクションより。D.ジャレ振付、A.ジルベール出演。

てあって、この解説と合わせてはまだよく考えていないけど、神話性や狂気や愛はもちろん深く前提としてあるとは感じていただろうけど、こういうものばかりは、全く自分としては、いい意味で多くは感じなかった。特にヴェナリについては美しく、勝利と感じた部分が悲劇的な部分だったんだなとか。
作品はすごくシンプルで、こういうテーマを出発点とするにしても着地点は現代的で、かえって好感を持った。
 だからここもやはりエレガントに裏切ってるっていうか、誠実性みたいなものについては考えなくてもいい作品なのかなというか、神話、愛、というテーマなのに、印象として一貫してそういう未開のものの喪失みたいなものを呼び起こされたのが、多重的で(現代性とも関わるけど)面白かった。
 暴力性うんぬんについても、別に責めるつもりはなく、実はすごく面白かった。
 三作品を通して、その形の変化、展開の飛躍に現れるエレガンスと暴力が、一番印象的であり、笑えて、面白かった。
  

Sunday 3 February 2008

ほぼ1(TOKYO MX TVにて放映記録)



DSMのルーシーの日記が面白すぎで私のに比べてすごい名文だったので引用を・・
ルーシーはたぶん、いつからか私の名前をヨクナパトゥーファ(テレフォンの撮影で青い部屋に行って一番最初にケビンさんに紹介してくれた時には既にヨクナパトゥーファだったのを覚えている)だと思ってると思うんだけど、
ほんとうは・・パトーファなんだけど、
ルーシーがそう言うのなら、そっちが正しいのかも・・
というかむしろ、改名しよっかな!
と、思う,今日この頃。
DSM DARKSIDE MIRRORS

『ほぼ1という番組に出演しました


またしても私達ダークサイドミラーズの「TELEPHONE」って曲の、
PVの監督ヨクナパトゥーファがらみなんですが、
MXTVの「ほぼ1」という番組でこのPVの短縮版が
受賞してしまいました。

それで授賞式の番組の収録に行って来ました。
私達が出演してる放送分が2月8日金曜の正午まで、
ホームページでオンデマンド配信(無料フリー)で見れます。
ほぼ1(20分くらいから)

しかし、そんな事は露知らず、ほんに全く聞かされておらず、
ヨクナからある日「パーティーがあるから行かない?私は行けないけど。」と誘われ、
私達4人は
「なになに?それは豪華なご飯が山盛りなやつでは?!しかもシャンパンが飲めるとナ!?」とパーティーという言葉の響きにルンルンでした。
JUNK「ハムメロン!ハムメロン!!」
じゅんちゃんハムメロンって何?!
あ、ちなみに、私達のおばあちゃんもパーティーが大好きだったそうなのでこれは遺伝です。

そしてパーティー当日。場所はSONYの乃木坂スタジオ。
アカデミー賞の会場みたいなレッドカーペットの奥にステージがあって、
私達は花が添えられた前の方のパーティテーブルに座らされていた。
みんなが前の方を向いている。
緊張感が漂っている。
ふと見るとカメラが何台もある。
なにやらおかしい。雰囲気が思い描いていたパーティーと違う。。

「・・あれ、ご飯は!???」
あの時ケビンが言った言葉が今も忘れられない。
かわいそうなケビン。
その言葉はむなしくも会場にこだまして消えていったよ・・。
おあずけされた犬のような目で黙り込み、席に座るケビン。

そうさ、この世にシャンパンなんてないのさ!!
お前にあげる酒など一滴たりともな!!
(会場の壁から聞こえてきた声、空想)

しばらくすると、予想通り番組の収録がはじまった。

私達はグーグーのおなかを必死に押さえて、
タバコもがまんして座って
司会者のピエール滝さんと倉本美津留さんのシュールなコメントに苦笑したりしていた。
あまりに”間違えて来てしまった感”が否めないのだが、
でもカメラがたまにこっち映したりするので、ちょっと笑ったりして、(大人)
とにかく私達には関係ないと思っていた・・・・

ところが・・・!!!
あれ!!うちらのPVが流れたよ!!
短縮版なんて、こんなのはじめて見たよヨクナ!!
あれ、受賞してしまったよ!!
何にも聞いてないよ!!
あれ、壇上に上げられてしまったよ!!
私ったら寝起きで普段着より酷い格好で行ってたのに!!
お母さんに「その格好はおかしいからやめなさい」って言われたのに!!
ちゃんと言う事聞いていればよかったよ!!

・・そんなこんなで、嵐の様に過ぎ去った収録の後、
おなかグーグーのままの私達は乃木坂から六本木まで歩いて、
モスバーガーでコロッケパンを買って食べて帰りました。

次の日、ヨクナに「受賞してしまったよ!Q!」と言うと、
彼女は可愛く笑って「ちょっと知ってたけど言わない方が面白いかなと思って」
と言われました。

コワイヨー
コワイヨー

おかあさーん

いや〜さいきん現実的に、プチ怖い人が回りに多くて困ってます。

あ、HELP MEという新曲をレコーディングしています。
こんなような内容の歌です。』(by LUCY MIRROR/DARKSIDE MIRRORS)


ダークサイド・ミラーズPV "TELEPHONE"